・教団を設立し信者も増え始める

 釈迦が六人めに教えを説いたのは、ヤサという一人の青年であった。長者の子、ヤサは修行をしたこともなく、説法を聞くことすらはじめてであったが、釈迦の教えを素直に吸収し、ついに出家した。さらに、ヤサの両親と妻も仏教に帰依。釈迦の伝道生活をのちのちまで財政的な面でも支えていったのである。ただ、釈迦の教えを受け入れようとしない場合も少なくなかった。例えば、カッサパ三兄弟が指導する、火神を祀る“事火外道”の教団もそのひとつ。釈迦は長男の大カッサパ、その弟たちの中カッサパ、小カッサパをそれぞれ訪ねたが、伝道に成功するまであらゆる方法で抵抗を受けた。しかし、最後には彼らの千人にも及ぶ弟子たちまで帰依し、仏教教団を確立する基礎を形づくったのである。こうして構成員を増やしていった教団に、マガダ国のビンビサーラ王は活動の拠点として、自国の首都・王舎城郊外の竹林を提供してくれた。これを竹林精舎という。また、コーサラ国の首都・舎衛城に住むスダッタという豪商は、釈迦を招聘。広い林園を持つ祇陀太子を説得して、その土地を提供し、ここに祇園精舎を開いた。

・教団が迫害を受け、内部でも反乱が起こる

 釈迦を中心とする仏教教団は、出家した者ばかりでなく在家にも数多くの信者を発展を続けていた。しかし誰もがこれを快く思っていたわけではない。そのため祇園精舎の周辺では、仏教教団に敵対する宗教家によって修行者が殺されたり、中傷されるなど、迫害を受けることもあった。弟子たちは場所を移ることを提案したが、釈迦は「七日待てば、噂や中傷は消える」と動こうとはしなかった。そして実際、しばらくすると周辺の人々は真相を知るようになり、中傷に耐えていた教団の名はかえって高まっていったのであるった。伝説上、最大の反逆者とされているのが、釈迦の従弟・デーヴァダッタ。彼は釈迦が高齢になるにつれて、その後継者は自分である、と考えるようになっていた。釈迦は、この考えを戒めたが、デーヴァダッタは逆に、“邪魔者”である釈迦を殺すことを企てたのである。デーヴァダッタはまず、巨象に大量の酒を飲ませ、釈迦に襲いかからせた。しかし、巨象は釈迦の前までくるとおとなしくなり、ついには跪拝した。これに失敗したデーヴァダッタは、その後も何度か釈迦を襲ったが、最後には自分の仕掛けた方法で、自らの命を落としてしまったのである。

・八十歳で最後の旅路、クシナガラヘ
 歳をとるにつれて、釈迦は次第に肉体の衰えを感じはじめ、横になることが多くなっていた。しかも、祖国・釈迦国は、コーサラ国の瑠璃王によって滅ぼされ、教団内でも、信頼をおいていた舎利弗・目蓮という十大弟子のうちの二人が相次いで亡くなるなど、辛いことが続いていた。こうしたことで生きる意欲が減退してきた釈迦は、ついに入滅の決意を固める。そして入滅の場所としてクシナガラを選ぶと、侍者として阿難ひとりを連れ、最後の旅に出たのである。齢八十歳、さとりを開いてから四十五年後であった。高齢の体に鞭打ってのつらい旅であった。ようやくクシナガラに着くと、釈迦は二本のサーラ樹を選び、その間に床を用意させた。そして北側へ頭を置き、右側を下にして横になると、足と足を重ねた。この時サーラ樹は、季節ならぬ花を咲かせ、釈迦を迎えたという。阿難によって釈迦の入滅が近いことを知った出家修行者や在家の信者は、次々とサーラ樹のもとへ集まってきた。さらに、鳥や獣、目には見えない諸天諸神までもが詰めかけ、釈迦の周囲を埋め尽くしていったのである。釈迦は最期の言葉を発すると、やがて禅定(暝想)に入り、そのまま静かに入滅したのであった。

 ここでは観音経について考えてみましょう。

 ・妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈

 世尊妙相具 我今重門彼 仏子何因縁 名為観世音 具足妙相尊
 
 偈答無尽意 汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議

 侍多千億仏 発大清浄願 我為汝略説 聞名及見身 心念不空過

 能滅諸有苦 仮使輿害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成力

 惑漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没 惑在須弥峯

 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住 或被悪人逐 墜落金剛山

 念被観音力 不能損一毛 或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力

 咸即起慈心 或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊

 或囚禁枷鎖 手足被杻械 念彼観音力 釈然得解説 呪詛諸毒薬

 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人 或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等

 念彼観音力 時悉不敢害 若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力

 疾走無辺方 蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火然 念彼観音力 尋声自回去

 雲雷鼓掣電 降電澍大雨 念彼観音力 応時得消散 衆生彼困厄

 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 広修智方便

 十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦

 以漸悉令滅 真観清淨観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

 無垢清淨光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間 悲体戒雷震

 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩燄 淨訟経官処 怖畏軍陣中

 念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音

 是故須常念 念念勿生疑 観世音淨聖 於苦悩死厄 能為作依怙

 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼

・解釈

 世尊は立派なお姿をしていらっしゃる。私は今、重ねてお尋ね申し上げる。仏子はどのような因縁によって、観世音と名づけられるのかと。立派なお姿をなさっている世尊は偈をもって無尽意菩薩にお答えなさった。君よ、観世音菩薩の修行がさまざまな方角や場所にきちんと適応していることをよく聞くがよい。その弘誓(ぐせい)は海のように深く、無限の時間をかけても考えを及ばせることはできない。何千億もの無数の仏に仕え、偉大なる清淨願(しょうじょうがん)を起こした。私は、君のための簡単に説明しよう。観世音菩薩の名号を聞き、その体を見て、心にしっかりと観世音菩薩を念じれば、どんな苦しみでも滅することができるだろう。観世音菩薩に念じれば、たとえ誰かに燃えさかる炎の大きな坑(あな)に落とされるようなことがあっても坑はたちまち池に変わる。あるいは大海に漂流して、海の竜や鬼神の餌食になるようなことがあっても救われる。あるいは須弥山(しゅみせん)の頂上から落とされることがあっても、また、悪人から追われ金剛山(こんごうせん)から突き落とされても、観世音菩薩を念じれば助けてくださる。あるいは賊に殺されようとしても、賊たちはたちまち慈心(じしん)を起こして思いとどまる。国王の命で処刑されようというときも、観世音菩薩を念じれば、処刑人の刀はいくつにも折れてしまう。あるいは首や手足に枷(かせ)をつけられても、観世音菩薩を念じれば枷がほどけて自由のみになる。あるいは誰かに呪われ、毒殺されようというときも、観世音菩薩の力を念じれば、逆にしかけた本人にそれが働く。あるいは害を及ぼすと恐れられている羅刹(らせつ)や毒竜、鬼神に出会っても、観世音菩薩をねんじれば、害を逃れることができる。あるいは悪獣に囲まれたり、とかげ、蛇、蝮(まむし)、蠍(さそり)の毒気の炎に襲われても、観世音菩薩を念じれば、たちまち退散する。あるいは突然、にわかにかき曇り雷鳴が轟き、稲妻が光り、雹(ひょう)や豪雨に遭っても、観世音菩薩を念じれば、雲散霧消する。人々が遭遇するあらゆる困難や苦しみから、観世音菩薩はすぐれた智慧であますところなく人々を救ってくださる。どこにでも現れ、地獄、餓鬼、畜生の苦しみ、生老病死の苦しみをその神通力と智慧の方便で次々に解消する。観世音菩薩には、大いなる智慧と悲観、慈観が備わっている。だから、いつもその姿が現れることを願い、仰ぎ見るべきである。観世音菩薩は汚れのない、清らかな智慧の光でこの世を照らされている。悲の体と慈の心で、甘露の雨を注ぎ、煩悩の炎を消す。観世音はこの世のどんなものにも勝る音である。だから、いつでもどこでも、たとえ戦陣にあっても観世音菩薩を心に念じなければならない。この観世音菩薩の偉大なる力に、わずかでも疑問をもってはいけない。苦悩、死、炎厄に遭ったとき、最後のよりどころになるからだ。また、あらゆる功徳(くどく)をもって、慈しみの眼で私たちを見つめていらっしゃる。福徳の海の大きさははかりしれない。これゆえ頂礼すべきなのであう。


この二十五番の観音経を一番最初にご紹介したのは、実は訳があります。それは、私がある会社に勤めていたころのことです。十年あまり勤めていた会社だったのですが倒産。その後、毎日ハローワーク通い。就職活動の日々でした。しかし、なかなか再就職が決まらず、気が付けば約5ヵ月がしぎていました。どうしよう、もうこれ以上は限界。そう思っていました。そのころの私は、先祖供養はほとんどしていませんでした。しかし、1つだけ毎日かかさずしていたことがありました。それは、家に祭ってある神棚に毎朝手を合わせること。それは最後の会社に面接に行く朝のことでした。いつもの通り神棚に手を合わせていました。その後、ロウソクの火を消そうと思ったその時でした。どこからともなく、不思議な風が吹き込み、気が付くと神棚の向かって左側のロウがロウソク沿いに垂れ、みるみるうちに観音様の横顔になりました。その時は、どうして神棚なのに仏である観音様がでてきたのだろうと思っていました。しかし、今考えると、日本では神様は天照大御神。伝説とはいえ、実在した人物。そう、神も仏なのです。そして、その後の面接で即日合格。先祖(仏)に救われた瞬間でした。

 ここから先ほどの観音経について考えてみましょう。解説を読んでお気づきかもしれませんが、先祖供養のためのお経とはいえ、なにか生きている私たちに語りかけているようにも思えます。そうです、お経は亡くなった先祖のため、それから生きている私たちのため半々と考えてよいでしょう。この中に生老“病死の苦もって”とあります。これを見ると、生きることが苦?老病死は苦でも、生まれること、生きることが苦とはなぜでしょう。これは、すべてが苦とも言い切れません。しかし、生きていく中にはいろいろな苦があります。もちろん、楽しいこともたくさんあります。しかし苦しいからといって逃げ出してはいけません。その苦を乗り越えること。すなわち修行です。だからこそ日々、先祖供養をして、先祖に力をつけてもらい、先祖に助けてもらうのです。先祖だって力がなければ、助けたくても助けることができません。また、日々供養してないのに苦しいときだけ“助けてくれ”といっても虫のいい話でしょう。先祖にしてみれば、子孫がかわいいはずです。助ける力があれば必ず助けてくれます。

・大乗仏教と小乗仏教では釈迦のあり方が違う

 まず、仏教は大きく二つに分けられる。ひとつは大乗仏教と小乗仏教という根本的な思想面での分け方。もうひとつは、顕教と密教という教えの学び方の違いによる分け方である。そこで、仏教とは何か?と考えるとき、大乗仏教ではまず、宇宙仏の存在を忘れてはならない。大乗仏教の仏とは、宇宙そのものである。宇宙の真理ともいうべき仏陀である。この仏陀が真理を説き、教えを説いているのである。しかし宇宙仏は姿、形がなく、そのままでは、教えを説くことはできない。そこで仏陀が人間である釈迦に姿を変えてこの世に登場した、と考えられている。小乗仏教では、さとりを開いた三十五歳以上の釈迦しか崇拝しない。それ以前の釈迦は、まださとりを開いていないただの人間だと考えるからである。一方、大乗仏教では、誕生した時の釈迦も崇拝している。生まれた時から宇宙仏の遣わされた尊い存在だと考えるからである。

・私たちが住んでいるのは川をはさんだ此岸の世界
 
 釈迦が説いた教えは、「どうしたら人は幸せになれるのか」ということが基本テーマになっている。これを語る前に知っておかなければならないのが、「此岸」と「彼岸」の存在である。自分の前に大きな川が流れている様子を想像してみよう。自分がいるほうを「此岸」、川をはさんだ向こう側を「彼岸」とする。仏教では、私たちが住んでいる此岸は凡夫の世界、彼岸は仏の世界と考える。此岸は、煩悩にあふれた世界だという。釈迦は、人は此岸では真の幸せにはなれないから、彼岸へ渡れと説いた。彼岸は、煩悩の炎がすっかり消えた、涅槃の世界である。釈迦は、此岸からこの大きな川を渡り、彼岸へ行くための方法を説いた。さて、そこで問題になるのが川を渡る方法である。小乗仏教の教えた方法では川を渡れるのはごくわずかな人々であった。しかし、これは釈迦の望んだ教えではないとして、すべての人が渡れるように、その方法を説いた大乗仏教が誕生した。

 ここで少しお話をはさみますが、私がなぜ、最初に死後について述べたのかお話ししましょう。一般には、人は死後すぐに三途の川を渡るといわれることが多いようですが、実はそうではありません。前途申しましたように、人は亡くなるとまず、暗い闇の中を歩いて行きます。その中で、何度も裁きを受けます。その後、ようやく三途の川を渡ります。細かいことについては、のちにお話しします。余談になりますが、あの人は悪人なのにのうのうと長生きしやがって。と、思えるような人を見ることは、御多分にもれずあるでしょう。でも、心配には及びません。死後、必ず苦しみます。死んでから後のことだから、そんなこと知ったことじゃねぇ。なんて思ってるあなた、今のうちに考えなおしたほうがいいですよ。亡くなったからといってすべてが終わりではありません。簡単に言うと、体と魂が切り離されただけだということです。人を殺めることも罪ですが、自ら身を断つことも、悪口などをいうことも、みんな仏教では罪なのです。それを死後、鬼にさんざん戒められます。ここから先は、実際のお経の中身や解釈について一緒に考えていきましょう。先に述べてしまいますが、お経をよく読んだ方なら解ると思いますが、お経の中身の半分は亡くなった人、半分は現世に生きる私たちのための内容となっています。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。